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Yちゃんと仲良く遊び、毎日面白い事をやったりしてゲラゲラ笑っていました。
「将来は漫才師になろうね」と、一階にあった教室の外にあった藤棚の下で言い合った事を憶えています。
先生から『忘れ物が多い』とか『集中力が無い』みたいな事を通知表や連絡ノートみたいな物に書かれていた。
もう、この時点で算数は苦手だったと思う。
割と活発で、クラスメートの女の子が男の子に泣かされると「謝れ」と男の子に詰め寄るような子どもだった。
学校でやってる演劇会みたいなのに出たのもこの頃かな。
多分本を読むのがうまかったから選ばれたのだろう。
でも、自発的ではないのでやらされているだけ。
あとは、給食を全部食べた人は、全員の名前が書いてある表のところに金色か何かのシールを貼るという制度があった。
私は好き嫌いが激しいので一度も貼る事は無かった。
学校のプールに浅く水を張り、魚(多分フナやコイ)を放して魚のつかみ取り大会みたいな事をやったのもこの頃だろう。
私には魚は鑑賞するものととらえているので、触るのが苦痛だった。
一匹は取らなければいけなかったので、5センチ程の大きさで死にかけている魚をビニールですくった。
家に持ち帰る事になってたけど、かなり死にかけていたので困った。
おねしょも続いていた気がする。
赤ちゃんの時?に祖母から貰って大事にしている綿毛布は、もうこの頃ボロボロになっていた。
私にとってのセーフティーブランケットで今でも持っているが、切れて全部の面積としてはぞうきん程度になっている。
20才を過ぎた位からは、布団にそれが無くても気にならなくなったかな。